同じ過ちは繰り返さない…東日本大震災で園児をなくした園長の悲痛の叫び

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東日本大震災から早8年。

 

復興が進む一方で、未だに心の傷が癒えていない人もたくさんいます。

 

その中の1人が、岩手県大槌町で保育園児との時間を共にしていた際に津波に襲われた大槌保育園の園長の八木沢さん。

 

今回は、八木沢さんが語る震災の恐ろしさと反省点についてまとめていきたいと思います。

震災時の大槌保育園の様子は?

地震発生時、八木沢さんをはじめとする保育士や園児たちは保育園にいました。

 

国が定められ保育士1人に対する0歳児の定員は3人。

 

しかし、実際に3人を抱えて逃げるなんてことはできず、調理師や栄養士など手が空いている大人を全て使って避難するということは、日頃から避難訓練の際に決めていました。

 

近くの避難所は雨風がしのげずに園児達には負担が大きいため、近くのコンビニを避難所とさせてもらうなどの配慮もしてきました。

 

しかし、実際に震災が起こった際に問題は起こりました。

 

訓練通りに子供達をコンビニに避難させ、親御さんが迎えにきた方には引き渡しながら限界が来たと判断してからは残りの子供を抱えて崖を登るようにして高台に避難しました。

 

保育士の努力が実り、その場に残されていたおよそ40人ほどの園児はみんな無事でした。

 

しかし…

 

コンビニで引き渡した子供のうち9人はほとんどの子が親と一緒に犠牲になってしまったと言います。

 

最後に引き渡した子を遺体安置所で見つけた際、八木沢さんの脳裏には自分の足にしがみついて「こわい」と怯えるその子の姿が写ります。

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全ての園児を保育士だけで避難させることは難しく、親御さんの手に渡すことが最善だと思って行ったこと…

 

しかし、八木沢さんはこの時の経験を教訓に考えが変わったと言います。

八木沢さんが語る反省点とは?

八木沢さんはこの震災の後、何があっても預かっている子供の命は自分たちが守るべきだったと反省していると言います。

 

そのため、保育園の入園の際には【万一の際にお子さんの引き渡しはしません】という規定を作り、了承を得ていると言います。

 

もちろん、保育園側は子供達を守ることができるような人員の確保や周囲への協力要請をしっかりと整えた上でのルールとなっています。

まとめ

 

以上が岩手県大槌町の保育園を例にとった震災時の出来事でした。

 

八木沢さんが悪かったということは絶対にありません。

 

誰が悪かったということもありません。

 

ただし、残された私たちは亡くなった方の命の重さを感じながら、しっかりとそれを教訓にしなくてはいけないのです。

 

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